過去に行われた修復
- 1866年から1880年まで、「勝利の女神」像の、幾つかの断片と後方の布の垂れ端が取り付けられた身体部分だけが、ローマ彫刻展示室に展示されていました。
「テベレ川」の間(ま)に展示された《サモトラケのニケ》
- 右胸部と、左の翼のほぼ全体が収蔵庫に収められました。
ナタリー・ブリュイエールによるデッサンでのモンタージュ
- オーストリア人の考古学者たちが勝利の女神像の縮小模型を作成します(1875 ~1880年)。
O・ベンドルフ と K・ フォン・ツームブッシュ による像全体の模型
- 1879年、船の舳(へ)先を表す台座部分の石の塊がルーヴル美術館に到着します。ルーヴル美術館の中庭で行われた最初の組み立て作業で、これらの塊が船の一部であるという仮説はすぐに裏付けられました。
ルーヴル美術館の中庭での第一回組み立て作業
- 像の第二回目の修復が行われました。彫像の主な欠損部分(右の翼、左胸部、帯の部分)は石膏で復元されました。
F・ラヴェッソン=モリアンによって石膏で修復された部分(1880~1884年)
- 1883年に彫像は台座に載せられ、「ダリュ」の踊り場へ設置されました。
「ダリュ」の踊り場に設置された「勝利の女神」(1884年)
- 「勝利の女神」像は「ダリュ」階段の中心軸上に展示されました。
「ダリュ」の踊り場に設置された勝利の女神像(1902~1932年)
- 古代の船舶の専門家カルリーニ大尉の指揮の下で、
カルリーニ大尉による修復計画
- 1932年から1934年にかけて、第三回目の修復が行われました。
カルリーニ大尉の指示の下で行われた船首の修復
- 新しく彫像と台座の間に石塊が挿入され、像が設置された周囲の装飾は、当時流行の様式に替えられました。
ダリュの踊り場に展示された勝利の女神像1934年~2013年
- 像の外観は、2013年まで、そのまま保たれていました。
「ダリュ」の階段から見た「勝利の女神」像