神殿の入口
神殿は深い峡谷に囲まれていたので、外壁は建設されませんでした。聖と俗の領域を隔てていた堀に架かる形で建てられた壮大な門「プトレマイオス2世のプロピュライア(楼門)(26)」が神殿の入口になっていました。
プトレマイオス2世のプロピュライア、西から見た基礎部分の西側と南側
礼拝用の建造物
巡礼者から奉納された建物群
マケドニア王たちの庇護のもと、拡張され美しく改装された礼拝用の建物群は、前4世紀には、聖地の利用可能な平地全体を占めていました。
この平地をさらに拡張するには、この東西にそびえる二つの丘を整備する必要がありました。東側には壮大な入口が作られ、西の丘の上には、裕福な巡礼者たちによって寄進された建物や奉納品が、長く延びた柱廊(11)の周りに建造されました。
神殿の最も高く、最も奥まった場所では、丘の斜面に、「勝利の女神」像のモニュメント(12)を設置するための補強台が掘り込まれました。
「勝利の女神」の建物跡(12)
「勝利の女神」像が置かれていた建造物は、基礎部分のみしか残っていません。基礎部分を保護していた土止め擁壁(ようへき)は、最近修復されましたが、一部は、崩れ落ちた大きな岩に埋もれています。
19世紀以来、繰り返し発掘作業が行われた建物の跡地(12)は、あまりに荒廃しており、建物を復元することはできません。女神像の大理石の表面の素晴らしい保存状態をみると、恐らくこの建物には屋根がついていたと思われます。
基礎部分の配置から、「勝利の女神」のモニュメントは、建物の奥の壁に対して、垂直ではなく、少し斜めに配置されていました。したがって、柱廊の方から入って来る人は、彫像を左45度の方向から見ていたことになります。
北から見た勝利の女神の建物跡